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現在夫と二人暮らしで、小型犬を飼っている兼業主婦です。2017年1月に腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)の手術をしました。今回、個人差はあっても同じような病気で悩んでいる方の参考になればと思い、このコラムをお伝えします。勇気と希望を持って闘病し、心も体も健康になっていきましょう。

<プロフィール情報>

【ペンネーム】E子

【年齢】42歳(女性)

【出身】北海道

【肩書き】兼業主婦

1)腰部脊柱管狭窄症とは?私の症状について

【1】連続して5分も歩けなかった重症の私

脊柱管とは、背骨の中にある様々な神経を保護している管のことで、それが狭くなり、神経が圧迫されて下肢症状や腰痛などが生じたりする難病指定されている病気のことです。

50~60歳以降の人に多く見られ、歩行や直立の姿勢を継続すると、下肢痛や痺れの悪化、連続して歩ける距離が徐々に短くなります(しばらく休むとまた歩けるようになり、また休むの繰り返しになる=間欠跛行:かんけつはこう)。安静時にも症状が強く出るようになり、排尿・排便障害が認められる場合もあるのです。上記が医学的見地からの分かりやすい定義です。

私の場合は重症の症状で、連続して5分も歩けなかったため、片道徒歩15分の近所のスーパーまで行くのに、5分歩いては5分休みの繰り返しで、約30分かかっていました。台所仕事も同じでした。

下肢症状は、臀部から太ももにかけての神経に激痛が走り、ふくらはぎからつま先までは感覚の鈍麻が両方にありました。安静時でも常に脚が痺れており、歩くために足を上げることを意識していなければ上がらないので、歩行に集中しなければ、何もない平地でもつまづいて転倒しますし、自宅の中でも段差がないところでよく転びました。杖を購入していなかったため、一人での外出はしませんでした。

また、尿意がギリギリまで感じられないため、失禁しそうになる尿意切迫と、便意も感じないため、だいたいいつもと同じ時間にトイレに行き、意識してするようにしていました。  

※参照(日本脊髄外科学会・日本整形外科学会)

【2】検査と治療方法

レントゲン撮影・脊髄造影・CT・MRIなどの検査を行いました。治療方法としては、一般的に保存療法(薬物療法・理学療法・装具療法・神経ブロック)と手術療法(脊柱管を狭くしている部分の骨や靭帯を削る)があります。

2)発症の原因は?手術を決意するまでの経緯

【1】発症の引き金となったもの

腰部脊柱管狭窄症を引き起こした直接の原因は、「腰椎すべり症」でした。6年前、清掃の仕事をしていた時に腰を痛めて、たまに通っていた個人病院に行きました。レントゲン検査後に、そこの主治医に言われたのが「腰椎すべり症」。加齢によるものと言われても、当時私はまだ36歳。納得できませんでした。

「すべり症」とは、骨の一部が軟骨の上ですべりやすい状態になっており、自分が動くと骨が神経側と外側にすべり、安定しない症状をいうと説明されました。とりあえず湿布を処方されて牽引のリハビリ通院を勧められましたが、仕事が忙しすぎて一度もリハビリには行けないまま5年が経過しました。

ある日突然、腰と臀部、両脚に痛みと痺れが強く走るようになり、自己判断で「坐骨神経痛」だと思い込んで湿布で対処していました。しかし、あまりにも痛みが強いため、上記の同じ病院に駆け込みました。レントゲン撮影と緊急MRI検査を行い、診断結果が「腰部脊柱管狭窄症」を引き起こしているということでした。それが今から2年前のことで、まさかこんなに大きな手術になるとはその時は思いもしなかったのです。

【2】病院選びの苦労と各病院での検査・治療

はじめは迷いもなく、たまにいく個人病院の整形外科に通いました。そこでの検査と治療は、レントゲン検査・MRI検査でした。しばらくは末端の血管を広げる為の服薬と湿布の処方で様子を見ましたが、緊急MRI検査をした時にわかった「腰部脊柱管狭窄症」で初めて手術を進言されたのです。神経の影がほとんど見えない状態だったのです。

その時に私が糖尿病を持っていることを話すと、急に顔色を変えて「ここでは手術できないから行きたい病院に紹介状を書きます」と言われ、総合病院を紹介してもらいました。一般的に糖尿病と手術の関連性はとても深く、総合病院では上記病院から提供された画像診断と、さらに、同じ検査プラス血液検査をして、少しの間は通院で服薬と湿布で対処していました。

しかし、既に歩くことが困難になっていて、極度のストレスと強い不安を感じていたので、総合病院で入院・手術を勧められ、医師との信頼関係もないまま入院することになりました。総合病院の主治医は、「自分に任せておけば絶対に大丈夫」と自信満々で、その時の私はまだ、手術以外に治療法はないものかと、インターネット検索などで自分なりに調べていました。つまり、手術することに納得していなかったのです。

その結果、入院して3日目に、思い切って切りたくない旨を主治医に話したところ、散々責められて挙げ句の果てに、切らないなら退院して他の病院に言ってくれと言われました。私が思うに、その主治医は腕は確かなのかもしれないけれど、患者の立場に立てない、自分の名誉のために手術したい医者なのかなと・・判断しました。

正直、他にあてもなかったため、路頭に迷いました。ショックでした。なんの為に入院したのか、この3日間はなんだったのか、この一人では歩けない状態でどうやって次の病院を決めるのかなどが頭を一瞬に駆け巡り、最後には怒りに変わっていました。

夫の知人が脊椎のいい先生がいるとの情報をくれて、紹介してくれました。大学病院で、糖尿病の絡みと腰部脊柱管狭窄症の両方をそこで診てもらうことになり、とにかく安心したのを覚えています。血糖値が高いと手術ができないため、内科と整形外科の連携で、書き切れないほどの検査と内科での入院・通院、整形外科での通院と服薬。そして入院になりました。

【3】手術を決意するまでの葛藤と決断の決め手

整形外科通院中に、大学病院の主治医はとても親切に治療について時間をかけて説明してくれました。信頼関係もできて、手術をせずに服薬で付き合っていく方法もあること、その際の考えられる辛さ、良い点と悪い点を患者の目線で話してくれました。

本当にありがたかったです。そして何より、信頼できる先生にめぐり逢えたことが手術を決意した大きな大きな決め手でした。大学病院の主治医が言う、「大丈夫です」の言葉は、前の病院の時とは違い、本当にこの先生にお願いしたいと心から素直に思えたのです。

ただ、私にとっては初めての手術で、とにかく不安で不安でしょうがなかったことは隠せませんでした。主治医はその点もしっかり受け止めてくれて、手術の同意書提出日の直前まで、手術以外にも方法があると言うことを説明してくれていました。

しかし、以前だと手術を避ける方法を暗中模索していた私が、同意書を書く決断をするまでに、そんなに時間を要することはありませんでした。なぜならば、手術をしてもしなくても、種類の違う痛みとは付き合っていかなければならないと知ったからです。また、年齢的にもまだまだしたいことがたくさんあったので、将来のことも慎重に考えての決断でした。

総合病院の外観

3)成功できた「固定術」と「除圧術」の手術内容

【1】人生初の手術

とにかく不安で仕方がなかったです。でも、手術を決めたからには、あがいてもしょうがない、主治医を信じるしかないのです。

術式説明には私が納得するまで時間をかけてくれました。まずは、どのような手術を予定しているのかを教えてくれた上で、二つの術式を同時に行うこともできるし、片方だけでやめることもできる。また、それぞれの術式におけるデメリットやリスク、メリットをそれぞれ骨の模型を使いながら、丁寧に説明してくれました。

さらに、今回の手術から数年経ってからの、再手術の可能性や必要性、一番怖かったのがほんのわずかな数値だけれども、障害が残るケースもあるということでした。また、大量の出血も考えられることから、輸血や糊のような成分も使うかもしれないことへの同意書も記入しました。私の手術は、「固定術と除圧術」と呼ばれる二つの術式が同時に行われました。

神経を圧迫している部分の圧力を取り除くために、まずはそこの骨を削り、その骨を取り除いた部分に移植。さらに、上下の骨と移植した部分を2枚のプレートで挟み、合計4本のボルトで締めるという手術で、手術時間は約6時間近くかかりました。

【2】おかげさまで手術は成功に・歩けるだけで本当にありがたい

夫には今後考えられるリスクの説明も含め、詳細を教えてくれたそうです。手術から帰ってきた私は、カテーテルの他に背中から内部の血液を抜く管が外に出され、横向きで寝ていました。その日からしばらくはかなり痛みましたが、痛み止めの麻酔で鈍麻させていたこともあり、あまり記憶にないのです。

3日間は寝たきりと聞いていたのですが、次の日には車椅子に乗せてもらいながら、トイレで用をたすこともできました。術後の経過が順調で、看護師さんたちも驚くほど早くから、歩行器を使っての歩行ができており、その際に術前まであった腰部脊柱管狭窄症の痺れや電気の走る痛みが全く嘘のように無くなっていました。

「歩けている」ただそれが本当に嬉しくて、痛い思いをして思い切って手術を決断して、心から良かったと思ったのです。

4)退院後の生活とリハビリ内容

【1】歩行器を使って歩く毎日

腰部脊柱管狭窄症の患者の中では、とても若かったからということと、骨の状態がとてもしっかりしていたこともあり、術後の回復が早く、毎日リハビリがてら病棟内を歩行器を使って歩き回りました。次第に病院内を歩いてもいいという許可が降りてから、売店まで愛車(歩行器)で買い物に行くなど、嬉しくてしょうがなかったのです。

リハビリも開始したと同時に、ゆっくりですが自立歩行の練習をし、付き添いなく歩くことができた時には、感動しました。リハビリは、術前しばらく使わなかった脚力の回復やまっすぐ歩くことの練習、緊張していた足の筋肉や関節をもとに戻す、インナーマッスルを鍛えるためのメニューが組まれました。

 一人で歩くために、とにかく必死で、術前に全く歩けずほぼ寝たきりになっていた期間もあったため、体力そのものがなくなっていて正直嫌になるほどきつかったのですが、歩きたい一心でした。

足に痛みや痺れを感じることなくゆっくりでも歩くことができるのは、なんてありがたいことなのだろうと毎日感謝し続けてきました。

【2】術後2週間で無事退院

そうは言っても、退院後日常生活に戻るにあたり不安はいっぱいで、買い揃えなければならないものがたくさんありました。まず、座卓だったために食卓セットを購入し、トイレの手すりを賃貸なのでつけることができないため、組み立て式の据え置きタイプで丈夫な手すりを購入。お風呂に入る時のシャワー椅子や小さな踏み台、そしてこれから相棒になるお気に入りの杖を買いました。

数度の自宅への外泊時に、あれこれとインターネット通販で購入したり、杖については自宅に専門の方に来ていただいてお試しを使ってみて、取り寄せ、退院に間にあわせることができたのです。杖は、転ぶことができないので必需品でした。退院後~現在も使用しています。

術後約2週間で無事退院できたことには、主治医、看護師、患者仲間、そして家族みんなが私の回復の早さに驚きました。脊柱管狭窄症の患者の中では随分と若い方だったため、その分回復力もあったようです。しかし喜びも束の間、現実の生活を目の当たりにして、待っていたのは落胆でした。

【3】日常生活で辛かったこと

  今はしてはいけないことと言うことに、注意を払いながらの生活です。

・荷物は3kg以上は持ってはいけない

・寝るときもコルセットを外してはいけない

・走ったり跳んだりしてはいけない

などです。まず、一番ショックだったことは、たった5kg弱の愛犬を抱っこすることができないことと、世話をしてあげられないことでした。ほかに、これまで腰部脊柱管狭窄症のせいでできなくなったことだらけでしたが、せっかく手術までして症状が無くなったにもかかわらず、できないことがありすぎて、毎日落胆の日々でした。

買い物に行っても、片手は杖でふさがってしまうため夫と行かなければならないし、重たい物も持つことができません。腰の状態は天気や気圧などに左右され、痛みが増します。雨が降っても片手に杖、片手に傘ということもできず、夫頼り。台所に立つことができるようになったのに、20分も立っていたら疲れ切ってしまうため、こまめに休憩を取らなければなりませんでした。

洗濯機を回せても、腰を伸ばせないので、思うように干すことができないですし、もちろんですが掃除機もかけられません。自分はなんのためにこの家にいるのかとも思いました。全ての面で、夫の支えがなければ腰を守りながら生活することは困難だったのです。

リビングの夫婦

5)現在の状況と生活上の心構え

【1】日常生活の工夫ポイント

現在は、パートをしながら主婦もしています。不自由さは退院したての頃よりも随分と少なくなりました。心配していた腰の骨を移植した部分の骨融合も、ほぼくっついているだろうという主治医の見解もあります。通院間隔は現在で4ヶ月に一度、これからまだ間隔が延びていくそうです。

日常生活をする上で、工夫している点が多々あります。例えばお風呂場の扉を外してシャワーカーテンにしました。夫のいる時にしか入りません。しゃがむ時はバランスを崩さないように何かにつかまりながらしゃがみ、立ち上がるときも腰に負担がかからない立ち上がり方を研究しました。

座りながらであれば愛犬を抱っこできることが分かり、さらには愛犬をしゃがんで抱き上げるための工夫も研究しました。ほかにもたくさんの工夫が必要になりましたが、そのおかげで、今ではほとんどのことを自分でできるようになりました。その工夫すること自体も苦にならなくなったのは、しっかりと今の自分の状態を見つめて受け止めることができたからです。

【2】現実を受け止める勇気

これまでできていたことが、手術をしたことにより、かなりの制限を余儀なく受けることになりました。落胆していた時には、様々なことができないもどかしさが正直なところ大きかったのが現実です。

それでも私の場合は、手術したことを一度も後悔したことはありませんでした。なぜなら、術前の状態よりもはるかに状態が良くなり、治療が成功していることを定期診察の際に、主治医と話し合っていたからです。

つまり、現実を真正面から受け入れ、今はできないことが多くても必ずできるようになる時がくると割り切ることができたからです。投げやりになったり、手術の道を選択したことを後悔するのではなく、心の持ちようが大切であると今も思っています。

【3】一生取ることのできないプレートとボルト

もし無理をして転んでしまったり、ボルトが緩むようなことがあってたら、またあの痛い思いをして再手術をするほかありません。口にはしなくても、自分で気をつけていることが多々あります。

まず、転ばないようにとにかく地面を見ています。明らかに段差があるところは気をつけるのですが、傾斜の部分に一番気をつけています。立ち上がる時は脚力がついた今でも、極力何かにつかまって腰の負担をなくしています。

杖をつくことで転倒防止に努めているため、バッグはリュックにし、杖を頼りすぎないように気をつけています。 食事面でも栄養のバランスに気をつけています。それは、体内にウイルスが入ることで、患部が感染症を起こす危険性があるからです。感染症も再手術のパターンでは多いので、体内の免疫力アップと風邪予防に努めています。

運動はできないため、できるだけ歩くことを心がけています。それは、腰に負担がかかりすぎない程度に、私の場合は30分から40分程を目安にしています。それ以上歩かなければならない時は、少し座って休憩を挟みます。

最後に、先程も記しましたが、天候により痛みが左右されるため、酷く痛む時には術後から使用してきたオーダーメイドのコルセットをするようにしています。コルセットは腰を守ってくれているという安心感があるので、精神的にも憂鬱にはならないのです。

【4】家族・職場には「できない」事をはっきりと伝える事が大切

もちろんですが、家族は腰部脊柱管狭窄症の発症から現在までの私の姿を、しっかりと見つめて受け止めてくれています。しかし、痛みについては家族でも本当の意味での理解はできません。

ですから、日常生活においてできないことははっきりと伝え、手伝いが必要であれば正直にその旨を伝えています。家族のサポートには、本当に感謝の言葉しかありません。

また、職場でもできないことは遠慮せずに伝えています。腰の状態を知っているため、ほとんどのことは配慮してくれているのですが、私自身の中ではやはり仕事という概念が強く、つい重たい物を無理して持ってしまったが故に、せっかく和らいでいた痛みがしばらくの間続き、職場の人たちに心配をかけたという失敗も経験しました。

クリニックのデスク

6)治療に関する金銭面とは?

【1】高額医療の限度額制度に助けられた

正直なところ、金銭面に関しては、どれだけお金がかかったかを把握できていません。しかし、限度額の適用制度には本当に助けられました。術後の定期健診では、必ずレントゲン撮影と湿布の処方を出してもらうのですが、1回にかかる費用は大学病院でも3000円を超えることは今のところありません。

【2】数え切れないほどの通院回数

通院回数に関しても、数えきれないです。だいたい月に1~2回は行っていたと思います。特に発症から手術までで服薬していた期間は、なかなか薬が自分に合わず、最低でも週に1回は通院していた記憶があります。

【3】定期通院の間隔が延びていく喜び

退院後の定期検診については、はじめは2週間後から始まり、1ヶ月後、2ヶ月後と少しずつ延びていきました。経過良好だったため、次の定期通院までの期間が徐々に長くなっていくたびに、喜びを感じ、日々気をつけて生活していたことについて、自信を持つようにもなりました。

7)腰部脊柱管狭窄症の治療を乗り越えて伝えたいこと

【1】あたりまえではなく有り難いこと

腰椎脊柱管狭窄症という病気を乗り越えて一番の感動は、日頃何も感じなく普通にできていたことが、今の状態でもできるのだという感謝の気持ちでした。

特に、術前は痛みと痺れで歩けなくなった期間があったため、「歩く」というあたりまえに思えていたことができなくなって、初めて実は有り難いことだったのだと、恥ずかしながら感じました。日常生活の動作ひとつ取っても、一人でできるという喜びは本当に有り難いことであり、感謝していくべきことなのだと感じています。

【2】人の温かみと見て見ぬ振り

杖をついて歩行していると、たくさんの人の温かみにも出会うことができました。交通機関に乗る私の姿を見て、席を譲ってくれる方が本当にたくさんいてくださいました。

それも年配の方から小学生まで、年代は関係なくです。立っているのも辛かった私にとっては、感謝の一言しかありませんでした。それと同時に自分はこれまで、快く席を譲ったりお手伝いをしたりを自然にしてきただろうか?とも振り返ることができました。

  一方で、見て見ぬ振りをする人もたくさんいました。捕まるところが何もないところで、杖を手から離してしまった時や、術前のよく転倒していた時期に、たくさんの人が周りにいて私のことを見て認識しているはずなのに、誰も助けてくれようとしない時には、とても困ったし寂しい気持ちにもなりました。

また、ここでも、不自由だから何も言わなくても助けてもらってあたりまえというのではなく、気遣ってくれたことに心から感謝する毎日でした。

【3】バリアフリーの街には程遠い

歩行が不自由になって初めて感じたことがまだあります。バリアフリーをうたっている街の中でさえ、本当の意味での配慮がないということです。

なんの意識することもなく普通に歩いていた道。横断歩道の手押し信号の場所に歩行に時間のかかる人用の押しボタンがあり、一般的な押しボタンより長く信号が青でいてくれるのをご存知でしょうか?私はこれまた恥ずかしながら気がついてはいませんでした。

しかし、大きい道路の方が逆にその信号がついていないのです。歩行に時間がかかるようになって初めて、信号が変わるタイミングを、「怖い」と感じました。また、街の中にはエレベーターも昔と比べるとかなり多く設置されているとは思いますが、中心部に行けば行くほど、そのエレベーターが不便なところにあるという現実に気がつきました。

更に、歩道の舗装の悪さが一番気になりました。何もないところでもつまづいて転んでいたので、道路のほんの少しの凸凹がその原因にもなります。

まだまだ気づいた点は多々ありましたが、総じて言えることは、福祉の世界でいう「合理的配慮」というものは、その当事者にならなければわからないもので、いくら健康な人が配慮したところで、実際に不自由さを感じている人の声を吸い上げなければ意味がないという点も考えさせられました。

世の中にはたくさんの人が、それぞれに病気・怪我・障害・加齢などから、何らかの不自由さを感じながら生活していると思います。

「合理的配慮」の難しさは、今回の経験を通して少しでも理解できたつもりでいますが、多種多様な不自由さがある以上、実際にどこまで「合理的配慮」というものがこれから進んで行くのかという難しい問題にも目を向けるきっかけになりました。

【4】痛みと付き合っていく覚悟

腰椎脊柱管狭窄症の症状が出ていた時と術後の現在の痛みは、全く違うものです。それは術前から主治医に言われていたことなので、覚悟はしていたつもりですが、時には嘆きたくもなります。術前の痛みとは全く種類の違う、術後の痛み。手術をしなかったら、私のケースは治しようがないほど重症だったことから、自分で今回の術式を選んだので後悔はありません。

この一言では語れない痛みと不自由さは、この先一生、共に付き合っていかなければならないのです。加齢による再手術の怖さももちろんあります。しかし術前と比べて、生活の質の高さは全然違います。治療をしなければ、得ることのできなかったことが多すぎるくらいです。

時には嘆きながらも、覚悟を決めて今を大切に生きていくということが、全ての人に共通して言えることなのだと感じました。そう感じた時、自然と毎日笑顔でいられるための自分なりの工夫を、あれこれ考えることが習慣になりました。

私は、この病気を克服しましたが、この経験をこれからに活かしながら、同じような現実に戸惑っている人、また、治療の選択を考えている人やなぜ自分がと考えている人にとって、少しでも勇気と希望を分かち合えたらという思いで、記しました。長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

まとめ

【1】現実をありのまま受け入れる

【2】主治医と納得できるまで話し合い、心から信頼できるかどうかで判断する

【3】嘆き悲しんでもいい、その後は前を向いて希望を持つための工夫をする

【4】自分の判断に責任を持ち、選択しなかった道について言い訳をしない

【5】健康になるために治療しているということを忘れず、笑顔で毎日を過ごせるようになるための工夫をする

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