スポンサードリンク







誰にも理解してもらえない、暗闇に引きずり込まれるような苦しみ。そんな私を、日の当たる場所まで引き上げてくれたのは、私の心に寄り添ってくれた人たちのおかげでした。病んだ心に、薬以上に必要だったのは、人の温かい心だったのかもしれません。

<プロフィール情報>

【ペンネーム】たいようときたかぜ

【年齢】55歳(女性)

【発症年齢】38歳

【出身】香川県

【肩書き】会社員

1)いくつもの条件が重なり合ってうつ状態に

【1】 当時の私を取り巻く環境

当時は、こどもはまだ育ちざかりの小学生が三人おりました。頼れる両親もおらず、主人は自分の趣味にばかり時間をかける人で、家事・育児についてはほとんど私の肩にかかっていました。仕事は、こどもたちが学校へ行っている間だけパートに出ておりました。

【2】 考えられる原因は?

(1)命に関わる大病

まず一番は、命に係わる大病を患ったことだと思います。私は、母と同じ年齢で母と同じ病気を発病しました。そして母の場合は、発病三年後に他界。私も同じ道を歩くかもしれないという恐怖がありました。

(2)主人との関係

お恥ずかしい話ですが、主人とは全くと言っていいほどうまくいってはいなかったと思います。家のことはすべて私任せ。体調が悪いというと、怒られるほどでした。今から考えると、つねに顔色を見て、びくびくしていたように思います。

(3)子供たちへの心配

そして一番心配だったのは、もし私が死んでしまった後、こどもたちはどうなるんだろうということでした。このようなことがストレスとなり、知らず知らずのうちに心を蝕まれていったのだと思います。

2)ある日突然の発症

【1】夜に全く眠れない日々が始まった

病気が発覚してから少しして、パートも辞めてしまいました。そして、疲れているわけでもないのに、なぜか一日中眠たいのです。

それからしばらくすると、今度は夜中に全く眠れなくなったのです。夜、眠たくなってお布団に入ると、急に目が覚めてしまって、そのまま朝まで起きている…多分、その頃からいろんな体調の不良が始まったのだと思います。

【2】次々と現れる体調不良

(1)体が動いてくれない

こどもたちに病気のことを知られるわけにはいかないと思い、朝起きてからこどもたちを送り出すまでは、元気なお母さんでいました。ところが、こどもを送り出して家事を済ませ、いったんソファーに座ってしまうと、そのまま何時間も座っているのです。何も考えず、ただ、ぼーっと座っているだけ。そして、涙が出てくることもありました。

(2)突然始まった「広場恐怖症」

これは「人の大勢いる場所に対する恐怖」です。例えば、駅や駐車場・映画館の中などもそうですが、私の場合はなぜか、車の止まっていない広い駐車場や、人けのない駅、PTA総会などで行った体育館の中などでも突然起こりました。

突然、平衡感覚がおかしくなり、足元が揺れだしたように感じ、立っていられなくなるのです。もし、今ここで自分が倒れたら、助けてくれる人はいないだろう、もし助けてもらっても、誰かに迷惑をかけてしまう…。そうやって、気が付かないうちに自分をどんどん追い込んでいたのでしょうね。

(3)気持ちが急に暗闇に引きずり込まれるような恐怖

これは「こんな感じなんです」としか言いようがありません。心が急に、暗い所に引きずり込まれて、誰にも助けてもらえないような、何とも言えない悲しい気持ちになる。そんな感じです。

その当時は「子供を残して死んでしまう」ことに、もの凄い恐怖を感じていました。それは、私が子供のころに「親に死なれてしまう」とゆう、とても悲しい経験をしたからです。だから、私が死んでしまったら、残されるこどもたちは、私と同じ悲しみを味わってしまうのだと思うと、とても冷静ではいられませんでした。

でも実は、そんな苦しくつらい状況の中でも、ひとつだけ良いことがありました。それは「子供を残して死んでいく親の気持ち」がわかったからです。私の親が亡くなった後、私は親戚の家に預けられたり、悲しいことを悲しいと言える環境にはいませんでした。ですから、ずいぶんと大人になるまでその悲しみが、癒されないまま引きずっていたのです。

おいて行かれた悲しみばかりを考えていたけれど、こどもを置いていかなければならなかった母は、これほどまでに辛かったのだなと、同じ立場になって、初めて母の悲しみを感じることができました。これは、母に本当に申し訳なかったと思います。そして、自分がうつ病にならなければ分からなかったから、これに関しては病気になったことに感謝でした。

【3】なぜうつ病になった?まずは大元の大病を治さなくては

その年の夏に「今手術をしなければ、来年のこどもさんの卒業式には出られませんよ」とお医者様には言われました。でも、どうしても手術をする気にはなれませんでした。

私の母が「ちょっと病院に行ってくるからね。すぐ帰ってくるからね」と言ったまま、二度と帰ってくることはありませんでした。なので、私も病院に行って手術をしても、同じように帰ってくることはできないだろうと思ったからです。

3)私の選んだ治療法とは

【1】東洋医学に詳しい病院

とにかく手術をしたくなかったので、東洋医学でなにか治してくれるものはないかとあちこち探していました。その時に出会ったのが、「鍼と漢方」で治療をしてくださる先生でした。そして、その出会いが私の心の病気も大きく変えてくれることになったのです。

【2】心を救ってくれた看護婦さん

今でこそ看護士さんとゆう呼び方ですが、その当時はまだ「看護婦さん」と呼んでいる時代でした。その病院は、それほど大きな病院ではなかったのですが、評判通り、大勢の患者さんで待合室はごった返していました。

そして、待合室で40分ほど待ったときでしょうか。一人の年配の看護婦さんが、私を別室に呼んで「どうしたの?何か辛いことがあったのなら何でも話してくれていいのよ」と、言ってくださったのです。

あのごった返しの人の中から、なぜ私に声をかけてくれたのか、今でもわかりません。そして、普段の私なら、迷惑をかけてはいけないと思って、大丈夫です!くらいに返すところだったでしょう。でも、その優しい言葉に、なぜだか本当に涙も言葉も止まらなくなってしまいました。病気のこと、家族のこと、こどものこと…気が付けば、一時間近く話してしまいました。でもその間、看護婦さんは背中をさすりながら、ずっと話を聞いてくださったのです。本当に心が救われた思いでした。

【3】まず出来ることから

「あなたは手術は受けずに、鍼と漢方での治療を希望しているとゆうことですね。それではまず、触診をしてみましょうね」そう言って先生が太ももの内側のツボに触れた瞬間、飛び上るほどの痛みを感じました。ほんの少し、触るか触らないかくらいの触診なのに。

「うん、結構悪いみたいだけど、できるだけのことをやってみましょうね」それから週に二日、鍼をうちに病院へ通うことになりました。処方していただいたお薬は『桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)』というお薬です。

【4】体調の回復

鍼を週に二回、それを三か月ほど続け、それからさらに三か月は週に一回の通院を続けました。結局、通院したのも漢方を服用したのも半年ほどでした。そして、よほど東洋医学とは相性が良かったのでしょう、痛みはまだあるものの、手術まではしなくて済みました。そして、それに伴ってあれほど苦しんだうつ病も少しずつ落ち着いてきたのです。

4)必ず元気な自分に戻ってみせる!

【1】違うことをやってみよう

自分でいうのもおかしいけれど、まじめで頑張り屋。それをうつ病で検索してみたら、もっともなりやすい人の特徴に当てはまっていました。これには笑いました。なら、違うことをやってみよう。そう考えたんです。

(1)食生活

まず、必ず三食食べる。どんなに少なくても、吐いても構わない。とにかく口に入れる。

(2)睡眠

別に、夜に寝なくても構わない。眠れないなら本でも読んでいよう。とゆうことで、かなりの数の本を読みました。

(3)入浴

うつ病の人にとって、入浴はかなり苦しい作業です。髪を洗っている途中で挫けそうになります。でも、二日に一回は必ず入るようにしていました。

(4)運動

これは、どんなに苦しくても嫌でも、必ず一日に一回は外に出るようにしました。近所をくるっとひとまわりでもいいのです。外に出ると誰かに会います。長い時間でなくてもいいのです。挨拶だけでじゅうぶんです。一日一回、外で他人と話すことをやってみました。

そして、どうしてもそれが出来ないときは、庭の草むしりです。お陰でうちの庭は、雑草の無い、きれいな庭になりました。そんなことを繰り返すうちに、本当に薄皮をむくように、ゆっくりと少しずつうつ病の症状が治まっていきました。

【2】そして、今現在

うつ病発症後、二年ほどで完全に症状は治まりました。いまは、とっても元気ですよ!

5)闘病生活を経て感じていること

【1】自分から勇気を出してSOSの発信を

うつ病を発症する原因は、本当に人によってさまざまだと思います。私のように病気が原因の場合・会社や家庭のストレス・事故の後遺症、またはその複合型。本当に数え上げればきりがありません。でも、その人に合った治療方法もあるはずです。

私の場合、一番大きなきっかけは、傷ついた私の心に、寄り添ってくれた人がいたことでした。でも、それはやはり「つらいの」とか「これ以上頑張れないの」と、自分から周りにSOSを出さない限り、なかなか気がついてもらえるものではありません。

【2】「朝」という漢字に込められた意味

張れない自分=ダメな自分。という方程式を、今すぐ捨てましょう。満点でない自分だからこそ、お互いに支え合って補い合っていけばいいのだと思います。今の私は、なかなかのお願い上手になりました。その代り、自分のできることなら何でも張り切ってやっちゃいますけどね。

そして、うつ状態のひどいときには、いつも心の中で繰り返していた言葉がありました。その言葉は、私がとても苦しんでいるときに出会った方からいただいた言葉です。

「朝」この字をなんと読むかわかりますか?これは「十月十日(とつきとおか)」と読むのですよ。十月十日は、お母さんのお腹の中から赤ちゃんがおぎゃーと泣いて生まれてきた日。毎朝毎朝が、生まれたての日なのですよ。昨日と同じ日は、一日もないのですよ。「朝」という字をばらばらにすると、とつきとおかと読めますよね?

私はこの言葉を、いつも心の中で繰り返しました。急に心が暗闇の中に引きずり込まれそうになったとき、ソファーでぎゅっと目を閉じて、何度も何度も繰り返しました。今日はどんなに苦しくても、明日はきっと違う。明日の朝は、きっと今より楽になるって。少しでも元気になるって。

この時もやはり、心に寄り添っていただいた方の言葉によって救われました。本当に、支えてくださったすべての方に感謝です。どうぞ、焦らずに、ゆっくりと治療なさってください。そして、苦しんだその体験を、どうか無駄にしないでください。せっかく苦しんだんだもの、何か一つでも学べたのであれば、その苦しみも必要だったのだと思える時が来るかもしれません。

いつかあなたが元気になったら、その時は苦しんでいる誰かの心に寄り添って、支えになってあげてくださいませ。あなたが一日も早くお元気になることをお祈りしております。

スポンサードリンク