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発症当時、10分以上心肺停止した方の体験談や、低酸素脳症について、ネットで調べる日々を送りましたが、類似した事例の絶対数が少なく不安になりました。父の低酸素脳症による後遺症の経験談が、同じような方々の何かのきっかけになればと思い、お伝えします。

<プロフィール情報>

【ペンネーム】ayumusubi

【年齢(性別)】27歳(女性)

【出身】神奈川県

【肩書き】会社員(事務員)

<患者さんプロフィール>

【治療期間】5か月

【年齢(性別)】58歳(男性)

1)「低酸素脳症」とは? 

【1】低酸素脳症について

『脳の灌流低下や低酸素血症によって脳の全体的な障害がおこる状態である。成人の場合は3 – 5分以内であれば注意力障害・判断力低下・協調運動障害などが出現することがあるが、後遺症を残さず回復することが多い(Wikipediaより引用)』。簡単に言えば、十分な酸素が脳に届けられず、脳に障害が起きた状態です。

【2】なにが引き金となり、低酸素脳症になったか

父には「心臓の血管が細く、血流が悪くなることがある」持病があり、ニトログリセリンなどの血管を広げて血流をよくする薬を常用していました。毎朝飲んでいたそのニトログリセリンをちょうど切らしてしまった日、突然心臓がけいれんを起こし、そして心肺停止となりました。

【3】心臓がけいれんを起こす前兆症状は?

2017年7月上旬。「父が倒れた」と、会社で働いていた私のところに連絡が入りました。付き添っていた母からは一言「心臓が止まった」と聞きました。最悪のケースも考えつつ、病院へ向かった日のことは忘れません。

その日は、朝から心臓が痛いと訴えていたそうです。病院嫌いの父は、心臓の違和感を我慢して、会社へ向かおうといつも通り朝食をとっていました。痛覚神経のないはずの心臓が、痛いと感じる時点で、病院へ行かねばならないということをその時は家族を含め、誰も知りませんでした。

心臓の痛みはどんどん増し、我慢がきかなくなってゆき、救急車を呼んでいる最中に、布団の上に吐き戻し、真っ白な顔をして父は倒れてしまったと、母から聞きました。その時 母は119番通報をしていたので、電話越しに心臓マッサージと人工呼吸を指示され、救急隊が到着するまでの7~8分の間、懸命に続けたそうです。

カルテに記入をしているナース

2)病院で実際に行われた処置の内容とは?

【1】病院での検査内容とは?

救急車内では、AEDによる電気ショックが必要な不整脈(心室細動)があり、それにより心臓はけいれんして動いていない状況でした。つまり、心肺停止の状態となっていました。

病院到着後も同様の状態でした。不整脈の原因を調べるため、緊急カテーテル検査を行いましたが、心筋梗塞など動脈硬化による病気はなく、心臓の血管に細いところはありませんでした。おそらく、血管がけいれんして狭くなり血流が悪くなる発作の影響ではないかとの診断でした。

【2】人工呼吸器を装着

足の付け根から静脈と動脈に管を入れて、人工心肺を装着(PCPS)し、心臓の代わりの機能を果たしてもらいました。また、人工呼吸器を装着し、呼吸の補助も行いました。PCPS導入後に不整脈は停止しました。

【3】40分間の心肺停止した状況をみた主治医の見解

心肺停止の時間、脳に血流が十分に行き届いておらず、「低酸素脳症」が予想されると告げられました。そして、脳へのダメージを最小限にし保護するために、

体温を1日間34℃に維持する低体温療法を開始しました。低体温療法中は鎮静薬を使用するため、眠った状態が4~5日続きました。脳の機能が保たれている可能性は、個々の状況で異なりますが、おそらく1割前後と厳しい状況が予想されるとのことでした。

【4】意識が戻った直後の様子は?

低体温療法が明けてみたら、目を開けて横たわっているだけでした。本当に目を開けているだけで、手足を動かすこともできず、コミュニケーションも一切取れず、何も認識できていないようでした。低酸素脳症による後遺症は、私たちが考えていたものより深刻でした。

【6】人工呼吸器はどのくらい続いたか?

意識レベルが低く、口には人工呼吸器を、鼻には胃に栄養をおくる管がついていました。自発的な呼吸は一応できているが、それもいつ止まるかわからないといわれ、呼吸の補助的な意味で気管切開をして喉から管を入れました。約一か月ほどは、その補助呼吸器はついたままでした。

【7】生命維持に関する処置は?

症状が固定するようであれば、次は「胃ろう」をするかどうかの選択が待っていました。父は日ごろから「生命維持装置」と呼ばれる類を嫌っていたので気管切開して、呼吸補助器を入れた際、なんとなく嫌がっているように見えました。そんな父ですから、家族で話し合い、胃ろうはやらないでおこうと決めていました。

総合病院の廊下

3)その後の経過について

【1】病棟を移る

病棟を移ったのは倒れてから1か月後でした。その頃には、ただ横たわっているだけの状況から、目で人を終えるようになっていました。

少しずつ指が動くようになり、顔の向きを変えられるようになり、腕が動くようになり・・・自発呼吸もしっかりしていたので、補助呼吸器は外れ「あーうー」と声が出せるようになりました。すごいスピードで体が動かせるようになっていき、脳の回復力に生命の神秘を感じました。

このまま、日常生活も送れるのではないかと希望を持ったほどです。しかし、そんなに現実は甘くありませんでした。

【2】リハビリ施設への転院は?

倒れてから2か月半~3か月の内には、転院しなければならないと説明を受け、ソーシャルワーカーさんと共に、できるだけ自宅に近いリハビリ施設を希望しました。

【3】5ヶ月経った現在

リハビリ施設へ転院して早々に、胃へ栄養をおくるために鼻から入れていた管を引き抜いてしまい、仕方ないので流動食を試しに出してみたら、問題なく嚥下したそうです。現在は、思いつく単語を羅列したような言葉のキャッチボールができるまでになりました。

食事も箸を使って固形物を使って食べられるようになっています。今までの記憶は戻る兆しは現段階では見えておらず、まずトイレに行くことが理解できていませんし、母のことや二人の娘の思い出も、すべて抜けているようです。

40分間という絶望的な心肺停止時間から、蘇生を果たしましたが、そこで待っていたのは奇跡ではなく、誰にでも起こり得る低酸素脳症でした。目を覚ました時の状態からは、かなり改善した私たち家族のような事例もあるので、悲観せずに、脳の可能性を信じて、長い目で見て介護してあげたいものです。

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