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私は7年半以上前、乳がんに罹患しました。市の乳がん検診から半年後、右胸のしこりに気づいて乳腺科クリニックを受診し検査の結果、がんと診断されました。

私の経験をお話しすることで、乳がんの早期発見と早期治療に少しでもお役に立てたなら嬉しいです。

【早期発見を】7年前乳がん治療を乗り越えた私が伝えたい事

<プロフィール情報>

【イニシャル】H・Y

【年齢】49歳(女性)

【出身】茨城県

【肩書き】専業主婦

1)乳がんとはどんな病気?

【1】乳がんとは

乳がんは乳腺にできる悪性腫瘍です。乳腺は母乳を産生する「小葉」と、母乳の通り道である「乳管」で構成されています。乳がんの多くは乳管の細胞が、がん化して発生します。また乳がんは大きく「非浸潤がん」と「浸潤がん」に分けられます。

【2】ステージの違いについて

・ステージ0:非浸潤がん(乳管内に発生した、がん細胞が乳管内に留まっている状態)

・ステージ1:腫瘍の大きさ(浸潤径)が2cm以下の浸潤がんで、リンパ節転移のないもの

・ステージ2:1と3の中間

・ステージ3:腫瘍の大きさが5cmより大きく、リンパ節転移を認めるか、(腫瘍の大きさにかかわらず)リンパ節転移を4個以上認める。

・ステージ4:(腫瘍やリンパ節転移の個数にかかわらず)遠隔転移(骨や肺、肝臓など)を認めるもの。

2)症状の発症は41歳の頃

【1】あれっ?変なしこりがあるけど、これは何?

市の乳がん検診(マンモグラフィーと触診)から半年後、お風呂に入って身体を洗っている時に右胸にしこりがあることに気づきました。

「あれっ、しこりかな?でも半年前の乳がん検診では”異常なし”だったし。でも、気になる!やっぱり気になる!」そう思いました。

【2】乳腺科クリニックを受診

そして乳腺科クリニックを受診しました。何となく1人で行くのが怖かったので、主人に一緒に行ってもらいました。問診・触診・マンモグラフィー・超音波・細胞診をして帰宅しました。先生に「悪いものではないですか?」と質問をした時、「否定できません」という返事が返ってきました。

検査の結果は、2週間後に聞きに行くことになりました。この時にも不安はありましたが、「乳がん検診で問題がなかったなら、きっと大丈夫だ」と思っていました。

【3】診断結果は(b)か(a)と通達を

検査結果が出る日も、主人にと一緒にクリニックを受診しました。結果が気になって家を早く出たので、最初に名前が呼ばれました。

乳がんと診断をされました。胸のしこりは6cmになっていて、先生の話では「脇の下のリンパが腫れているから(b)か、a)の進行度だと思う。温存手術ではなく、乳房を大きく取る手術になる」ことが私たちに伝えられ、大学病院への紹介状を書いてくれました。

翌日、主人と一緒に大学病院へ向かいました。前日は一睡もできず、朝を迎えていました。「これから、どうなっちゃうんだろう?」大きな不安と絶望が、頭の中に広がっていました。大学病院でもマンモグラフィーと超音波の検査をして、前日と違っていたことは「左の乳房にも、がんを否定できないしこりがある」と言われたことでした。

【4】現在はとっても元気!

右乳房はがんでしたが、左乳房は検査を進めていくうちに良性のしこりであることが分かりました。がんと診断されてから7年半以上が経過しましたが、私は元気に生活をしています。

がんに罹患する前と後の自分自身を比べてみると、「がんになってからの私の方が生き方も、考え方も好き」今ではそう思うことができます。

資料を確認している医師と看護師

3)病気になる前の生活とは?

【1】乳がんに罹患する前の食生活

私が乳がんに罹患する前の食生活は栄養バランスには多少気をつけていたものの、好きなものが中心だったり、早食いの癖がありました。

「高カロリー」「高脂肪」の欧米食は乳がんの罹患率を上げてしまうといわれていますが、まさに私の食生活が当てはまっていたのです。

【2】乳がんに罹患する前は、ほとんど運動をしていなかった

食生活以外の私の生活習慣は、「運動不足」が挙げられると思います。時々、近所の公園に行ってウォーキングすることはありましたが、買い物や外出時には車や自転車を使っていました。店内でもエスカレーターやエレベーターを使うことが多く、「階段は面倒だから」と思っていました。

4)診断直後は足の震えが止まらなかった

【1】死の恐怖と絶望感

乳がんと診断された時は「がん=死」が頭の中に浮かび、いろいろな想いが高速回転しました。悲しみでいっぱいのはずなのに、不思議なことに涙が出ませんでした。

クリニックで「がん」と診断された時は、足の震えが止まりませんでした。主人や家族の顔が浮かんでは消えて、「嫌だ、死にたくない!」と思いました。クリニックからの帰り道喫茶店に寄りましたがスパゲティーの味も、コーヒーの苦みも感じませんでした。がんと診断されたた日の朝に体重を測っていましたが、翌日には体重が3kg落ちていました。

右乳房を失うこと。もしかしたら、左乳房もがんかも知れないと診断されたことは本当にショックでした。私は乳がんの早期発見・早期治療につながることを願って、乳がん検診を受けたのに「どうして!なぜ?」と思いました。

【2】家族・病院のスタッフの皆さん・仲間の支え

家族・病院のスタッフの皆さん、そして当時、私が仕事を通して出会った仲間に支え、励ましてもらいました。私はがんと診断されてから約一週間の記憶が、ところどころ抜けています。それだけ辛さや悲しみが大き過ぎて、記憶に残っていると心が耐えられなかったからなのではないかと思います。

【3】自然に励まされ・癒されて

がんに罹患した時期が春だったことで、次々に咲く花に励まされ、癒されました。主人が気を遣って、お花見ができる場所に私を連れ出してくれました。花が、空が、大地が、風が、私に「負けるな、頑張れ!」と語りかけてくれているように感じました。

5)専門医での検査内容・治療内容について

【1】専門の知識があり、経験豊富な先生のクリニックに行こう

私の自宅から車で1時間弱の場所にある乳腺科クリニックに行こうと思ったのは、そのクリニックの先生が県内の大学病院・がんセンターで週に1回外来を担当していることを知っていたからです。

【2】乳がんには、さまざまなタイプがある

乳腺科クリニックでも、大学病院でも触診・マンモグラフィー・超音波・細胞診の4つの検査をしました。その他に大学病院ではCT・MRI・左乳房はマンモトーム生検をしました。

【3】生きていられたならそれでいい

右乳房を失うことは辛かったけれど生きていたい、死にたくないと思う気持ちの方が強かったです。手術日の前日に入院し、手術日の朝食はなし。朝7時30分くらいに担当の先生がセンチネルリンパ節生検(がん転移の有無を調べる検査)の処置後に手術。右乳房全摘。

手術は約3時間で終了。リンパ節への転移が分かり、右の脇の下のリンパ郭清する。入院期間は10日間。左乳房が無事に残ることも分かり、「左乳房は絶対に守らなくちゃ!」と思いました。

【4】家族の協力・そして知恵と工夫

手術を終えて、病理の結果が出ました。私のがんの進行度はa)でした。化学療法を2種類の点滴で行い、放射線治療を25回、ホルモン治療(ホルモン注射5年、内服薬を10年)をしていくことが決まりました。

がんの治療中は家族が全面的に協力してくれ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。もしも私1人だけだったら、頑張ろうという気持ちも起きず、心が折れてしまっていたのではないかと思います。

化学療法と放射線治療中の食事作りや買い物などは栄養バランスは抜きに考えて、食べられそうなものを食べていました。何とか食べる量を増やすように知恵を出し、工夫をしました(どうしても食欲がない時はスポーツドリンク・プリン・和菓子などを食べるなど)。

病院の廊下

6)懸命なリハビリ期間と通院時の過ごし方

【1】リハビリ内容

手術後から右手のリハビリを開始。「グー・チョキ・パー」をベット上で横になりながら動かしたりしていました。

手術後でもお箸が普通に使えることに、感謝の気持ちでいっぱいでした。徐々に右腕を動かすようにしていき腕を上に挙げたり(壁のぼり・羽ばたき運動)、肩を前後に回したりするリハビリをしていました。

【2】通院内容

がんの治療中には病院への通院も頻繁でしたが、今は基本的に3ヶ月に1回のペースです。ホルモン治療の内服薬がなくなったら、採血検査と診察を受けています。CTと左乳房のマンモグラフィー検査は年に1回。

乳腺科で出されているホルモン治療のための内服薬の副作用が、子宮体がんのリスクを高めるということで、婦人科で3ヶ月に1回のがん検診を受けています。

7)日常生活での実体験

【1】日常生活

退院直後は「洋服を着てしまうと、健康な人と何も変わらないように見える」けれど、右乳房を全摘したことで、「子供や、何かが胸にぶつかってこられそうで怖い」と感じ、外出する時はしばらくの間、右胸をかばうように手を当てていました。退院後、家事は無理のない範囲で少しずつできました。

がんの診断から治療中の時期には、私は主婦業が中心でした。時々、主人の仕事のサポートをする程度でした。

【2】「がん」と診断されても「=死」ではない

「がん」と診断されると死に直結してしまう方が、ほとんどだと思います。私自身も、そうでした。でも、多くのがんは「基本的には治る病気」で、生活習慣病の1つだと思っています。

健康的な和食

8)私が予防と回復のために取り組んだ生活習慣のポイント

【1】食事:「カタカナ食品」→「ひらがな食品」に変更

これは難しいことではなく、簡単にいうと「洋食」から「和食」へと食事内容を変えることです。例えば以下になります。

パン→ご飯

スパゲティー・ラーメン→うどん・お蕎麦

サラダ→お浸し

スープ→お味噌汁

ムニエル→焼き魚

クッキー→お煎餅

コーヒー→ほうじ茶  など

【2】睡眠

夜23時過ぎに寝ていた生活習慣を改め、10時には布団の中に入るようにしました。秋から冬にかけては特に湯たんぽを使用して、寝つきを良くするようにしています。

【3】運動:自分の足を積極的に使おう!

がんに罹患後は車や自転車を極力避けて、自分の足を積極的に使っています。買い物は徒歩で、エスカレーターやエレベーターはなるべく使わず、階段を使っています。

【4】入浴:リラックスタイム&リハビリタイム

入浴は身体を温め、リラックスタイムを兼ねて半身浴をしています。お気に入りの香りの入浴剤を使うことで、ストレス解消にもなっています。

【5】治療費はどれくらいかかった?

がん保険に入っていたので、診断された当初に100万円が出ました。が、「通院型」の保険ではなかったため、家計の中で治療費が高額になり、支払いが大きな負担に感じます。ぜひ、通院型の保険に入られることをお薦めします。

9)早期発見・治療のために大切だと思うこと

【1】乳がん早期発見のために

乳がんには様々なタイプがあるのだと思います。「触診・マンモグラフィー検査だけでは見つからないがんもある」ことを踏まえて、「触診・マンモグラフィー・超音波」の検査を定期的に受けてほしいと思います。

あとは「定期的なセルフチェック」と「何か異変を感じたら、早めに病院に足を運ぶこと」が大切だと思います。

【2】どんなに辛くても「止まない嵐はない」

どんなに辛いことや悲しいことがあっても、必ず何とかなるものです。ずっと、その辛い状態が続くわけではありません。「止まない嵐はない」ように、「降り続く雨はない」ように、必ず自分の気持ちも、置かれている状況も変わります。

【3】支えてくれる手・寄り添う心

「優」という文字は「人」が「憂える」と書きます。憂いている心に寄り添ってくれる人は必ず、いてくれるはずです。決して、1人ではありません。

また私のオススメとして、通院治療中に、周囲の人に「私はいま、通院・治療中です」ということを目に見える形にした「うさポンバッジ」というものがあります。

どうしても心が折れそうで辛かったら緩和ケアの臨床心理士・通院先の病院のケースワーカー・心理カウンセラーなどによるサポートを受けるのも、とても良いと思います。

まとめ

【1】「がん=死」ではなく、がんは基本的には治る病気。生活習慣病の1つ

【2】「私は病気を治す・治った!そして、素敵な人生を送っている」そうイメージし続けることが大切

【3】「がん」という禍も、視点を変えれば転機になる。正しい生活習慣を身につけるチャンス!

【4】がんの患者会への参加・がんを経験し、乗り越えた人の話を聞くことは大切。あなたは1人じゃない、大丈夫!

【5】時には臨床心理士・ケースワーカー・心理カウンセラーなどに頼ることも大切

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