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右足首の骨折の手術から菌の感染に。私は10年にわたって、骨髄炎の治療と戦って完治することができました。同じような症状で悩む方々へ、私が実際に行った検査・予防・治療などの具体的なエピソードとお伝えして、お役に立てればと思います。

<執筆者情報>

【ニックネーム】YASUYUKI

【年齢】58歳( 男 )

【出身】京都市

【職業】無職 

1)事故から手術に!「骨髄炎」発祥の経緯

【1】骨髄炎の症状とは?

平成15年「2003年、3月」にバイクの事故で右足首を介抱骨折して病院に入院し、医者から1か月で退院できるといわれました。しかし、手術後急に熱がでてきて「40度の熱が10日間ほど」続き、敗血症になり命も危ない状態になり、食事は一切うけつけず口から入る物は水だけでした。あの時はベッドから動くこともできず大変な思いをいました。

【2】骨髄炎とは

事故などの怪我で骨に黴菌が付着し【MRSA】「メニチリン黄色ブドウ球菌」体の外に出ます。健康な人間には日和見感染といい2、3日で熱も治まりますが、抵抗力などが落ちているときなどは、重篤なことになり高熱が出て死亡することもあります。

2)緊急入院から手術へ

病院の血清で熱をさげ2回目の手術を行いました。しかし、熱は手術後もなかなかおさまらず毎日医者が様子を見にこられ、医者の話では右足の膝から下は【MRSA】「メニチリン黄色ブドウ球菌」と真菌「カビの菌」に冒されているとの事でした。

病院内での院内感染でした。入院中は立つ事はできず車いすでの生活でした。見る見る内に足首の色も変わって土色になり神経も通っていませんでした。骨髄炎との戦いです。その病院に約3年あまり入院して手術の回数は30回にもおよびました。

そして31回目の手術の説明はもうこれ以上手術しても同じなので足を切断するといわれました。しかし切断となると「ハイわかりましたとは言えません」医者は承諾書にサインして下さいと言いましたが、サインはしませんでした。病院に外出届を出して自宅帰ってパソコンでほかの病院で足の怪我を治せる専門医がいないか探してみました。

他の病院に同じ骨髄炎で同じような患者が治って歩いておられる記事がパソコンにでてきました。どうにかこの病院の医者に診てもらえないかと思いその病院にアクセスしてみると、相手から返事がきて1日も早く病院に診察に来るようにいわれました。

3)セカンドオピニオン。確率は1%?

平成18年「2006年6月」家族で不安を抱えながら病院に診察に行きました。まず、レントゲン写真を13枚ほど撮って、その後右足の動脈が切れていないか調べた後、診察してもらった怪我をしている足の動脈が1本だけまだ切れずに残っていました。

これならまだ切断せずにすむかもと言われ、肩の荷がおりました。「ただし確率は1%ですよ」といわれ、「手術の時間もどのくらいかかるかはわからないですよ」と言われました。しかし1%確立に賭けて承諾しました。

4)他の病院に転院

 平成18年「2006年」の7月に病院を移り入院しました。7月の末に手術を行い右足が細いので左の肩の筋肉を右足に縫い付ける手術を行い「皮膚移植手術」、血管、神経を繋ぎ合わせる手術「マイクロサージャリー」を行いました。今まで茶色になっていた皮膚がきれいになり元の状態の色になりそれに驚いた事にあれだけ苦しんでいた骨髄炎も治っていると説明されました。

これからは自分の抵抗力で菌に勝つ事ができるので安心ですとの事でした。「手術時間約24時間」だったそうです。入院中に、平成18年「2006年」12月24日浸出液が足の皮膚の内側に溜り浸出液除去手術を行います。

「皮膚をメスで切り浸出液をバキュームで吸い出す」手術を行いました。そして平成18年「2006年」11月に右足の膝から足首までの骨を切除し左の足の骨「脾骨、細い骨」を埋め込む骨移植を行いました。右膝に左肩の肩の肩甲骨、右足にイリザノフ型創外固定器を装着。

感染も治まり約1年4カ月あまり病院に入院していましたが平成19年「2007年」4月に松葉杖で退院しました。その後、平成19年の11月に足首の手術を行いなした。「右足に【腸骨】腰骨を埋め込む」平成20年1月退院しました。ただ、これは第一段階が終わったに過ぎない足首も骨折したままで、足の寸法も8センチ5ミリ短いいままです。

5)退院・リハビリテーションの内容とは?

一時創外固定器をはずし、松葉杖での歩行が可能になったので平成19年「2007年」4月に退院しました。傷も再発せず1か月1回 病院に診察に行く程度です。また、平成19年6月の末から自宅の近くにあるリハビリセンターで週2回リハビリに通い始まました。リハビリをリハビリのメニューは主に松葉杖の歩行訓練とベッドでのゴムでの訓練です。

松葉杖の歩行訓練は、まず理学療法士が横に付き、片松葉で歩く2週間目から理学療法士監視のもと、自分1人で片松葉歩行ができるようになります。右足に力を入れて身体が左に傾かないように、片松葉で歩行訓練を行いました。その後、理学療法士の指示で1か月するとステッキでの歩行練習に切り替えました。

最初は理学療法士が横に付き、その後一人で歩くまで回復し、1人で歩くようになるまでは1か月ほどかかりました。その後3か月過ぎたころには、ステッキも持たず歩くまでになりました。「いずれも30分ほど歩く程度」でした。

ベッドでのリハビリは膝が癒着して、おさらも固まっていましたが、今では癒着もとれリハビリ前膝の曲がりも可動域「45度」が85度まで曲がるようになりました。しかし手術でおさらの位置が上に上がってしまい、元の位置に戻さないと膝は戻す事は無理がありました。まだまだこれから色々大変ですが、できる限り自分なりにリハビリを続けるつもりです。来年また次の手術があるので「創外固定、骨延長」が控えています。

6)右足首の手術「腰骨(腸骨)」の埋め込み

平成20年「2008年」11月5日に足首の手術の為再度入院しました。時間的には6時間ぐらいの手術の為身体へのダメージは少ないですが、腰骨を削って移植する為手術後の発熱と痛みがありました。

足首の骨の足りない所に腰骨「腸骨」を削って埋め込みます。平成20年「2008年」12月の末に退院。再度イリザノフ型創外固定器を装着しました。

7)形成外科への通院内容とは?

【1】平成21年「2009年」形成外科を診察

平成21「2009年」1月9日今年になって初めての診察です。まず、レントゲン写真を撮り膝の膝の可動域も、足首の骨の状態も良好で足首の手術も問題なく感染もなさそうでした。今年は骨を切断して「創外固定器」で骨延長をする為、骨の出来具合を見ながら次の手術の予定を立てると言われました。

しかし、イリザノフ型創外固定器では、足が外側に向いているのを正常な位置に治す事が不可能なので、骨延長を行う為にはアメリカ式の「テーラー式スペシャルフレーム」創外固定器で手術をすると言われました。

病院の診察は1か月に一度来るように言われ、もし手に入らなければ、イリザノフ型創外固定器で骨延長の行うとの事でした。毎月病院に診察に行くが「テーラー式スペシャルフレーム」創外固定器が手に入らずこの年の骨延長の手術は延期になりました。

【2】平成22年「2010年」形成外科診察

平成22年「2010年」1月8日今年初めて形成外科に診察に行きました。形成外科の主治医から去年平成21年「2009年」に病院の承諾がとれて「テーラー式スペシャルフレーム」創外固定器は発注済みなので届き次第手術になる予定です。

形成外科の診察は1か月に一度、診察に来るように言われました。平成22年「2010年」5月28日形成外科の診察で「テーラー式スペシャルフレーム」創外固定器が病院に届いたので手術日、入院日が決まりました。平成22年「2010年」7月6日入院、7日手術と決まった。手術時間はおよそ6時間。

8)骨延長手術の為に入院へ

平成22年「2010年」7月7日骨切断、骨延長の手術を行う。平成22年「2010年」7月16日より主治医が持ってきた指示書どおり6か所の創外固定器のボルトの目盛りを1日1ミリごと伸ばしていくようにと言われました。約2か月の予定。

「2010年」7月24日一時退院しました。ここからは自宅療養になり7月30日の夜より自宅のパソコンにメールが入ってくるデーターを基に毎日6本のボルトの目盛りを1ミリ動かしています。6本とも目盛りの色が違うので間違うと骨の傾斜が変わってしまいます。「2010年」8月の診察予定は自宅で骨延長と傾斜を合わしている事もあり「8月6日、13日、20日、27日」の診察予定、骨延長2センチ、角度13度感染の異常もなし。

9月も「3日、10日、17日、24日」「2010年」10月8日形成外科診察で2センチ骨延長、角度、13度矯正1クール終了骨が固まるまで待つように言われました。予定では創外固定器が外れるのは3か月先のようでした。骨が固まるまでは頻繁にこなくてもよいと言われ少し1か月1回のペースで診察になりました。その間、毎日のように朝、夜に6本の創外固定器のボルトの目盛りのデーターがパソコンに送られ、指示通りボルトの目盛りを動かしています。

平成23年「2011年」2月25日、形成外科診察7ケ月あまり装着していた創外固定器を、外来で外す事になりました。足が軽く感じたのは言うまでもないが、またこれから後の右足のリハビリが大変です。それにまだこれが最後ではなく、もう一度足首の骨延長の手術が待っているのです。たぶん今年の6月頃になるか、主治医と相談しながら決めていくつもりです。

9)リハビリテーション再開

【1】リハビリは3時間を超える

平成23年「2011年」4月よりリハビリを再開する。創外固定器を長く装着していた右足の筋肉、筋が固くなっているので、そこを指、低周波治療、ゴムでリハビリを行います。その後ステッキでの歩行訓練を行います。その後ステッキも持たず歩行訓練を行う。「いずれも30分ほど歩く」リハビリ時間は3時間30分程度にもなります。

【2】足首の骨切断・骨延長手術

再び平成23年「2011年」8月29日足首の骨切断、骨延長手術、今回の骨延長では4センチ延長する今度の創外固定器は12本のボルトの目盛りを毎日1ミリ回していかなければならない明日から主治医の指示に従って骨延長を行いました。

平成23年「2011年」9月17日無事退院。自宅療養では主治医の指示に通りパソコンに届くメールを基にボルトの1つずつ目盛りを動かしていきます。平成24年「2012年」2月13日、形成外科診察、創外固定器の針金の刺さっている皮膚が化膿してきたので平成外科に診察に行くと創外固定器のボルトが、骨から外れているので、このままでは骨髄炎になる恐れがあるので創外固定器を外し骨のずれを直してギブスで固定しました。

その際の時足の長さ、傾斜はほぼもと通りになっていましたが右下腿の膝下に膿がでて腫れているので綿棒で穴の中を掃除し、薬「ネグミンシュガー」を注射器にいれ穴の中に注入し少しの間は毎週診察に来るようにと言われました。

10)創外固定器ピン感染の為再入院に

平成24年「2012年」2月18日熱がでて創外固定器ピン傷痕が感染のため再入院する。まずバンコマイシンの点滴が「1日3回」始まりました。入院中ギブスを作り替えずれていた骨を正常な位置に戻して右足をギブス固定しました。今回の入院中は熱がなかなか下がらず、38度の熱が下がらず朝、昼、夜と点滴をしていました。

平成24年「2012年」3月の始め「入院中」にレントゲン写真を撮り、診察を受ける。骨も正常な位置に戻っていたのでその状態でギブス固定する。熱はまだ、平熱には戻ってないので点滴は朝、夜にバンコマイシンの点滴を行い主治医が診察をした所、創外固定器の針金が皮膚に刺さっていた所が化膿してそこから膿がでて感染を起こしているので、熱が下がり次第骨を削る手術をすると言われました。平成24年「2012年」4月11日、右足骨髄炎「感染」の手術を行いその後1週間、バンコマイシン点滴を行いました。

熱は平熱に下がりました。ただ、どうしても手術で取り除いた皮膚が再生しませんでした。そこで、平成24年「2012年」平成24年「2012年」5月7日より感染治療のため陰圧閉鎖療法(VAC療法)を行い3週間(VAC療法)を行い平成24年「2012年」8月25日に退院しました。

「帰る際はPTB免荷装具」を着けるように言われ、手術後はしばらく1か月の1度、診察に来るようにと言われました。平成24年「2012年」10月の診察の際、主治医から骨髄炎の跡、移植した骨の長さ、傾斜、骨の太さすべて異常なし骨を削った跡も完全に埋まっているので診察は電話での予約でリハビリに専念するように言われました。完治するまで約10年間を費やしました。足の治療は終わりましたが、前の病院での点滴の投与で2型糖尿病と今の病院で診断され病院には糖尿病の診察で月に1回通っています。

11)リハビリテーション終了

創外固定器を長い間での生活をしていたので右足の筋力がおちてまた、右足の筋トレと、ステッキでの歩行訓練をする。幸いにもステッキで歩くことは問題がなかったので、あとはゴムでの筋トレと曲がりにくくなった右足を少しでも曲がるように筋肉を柔らかくする事に重点を置きながらリハビリを行いました。

平成25年「2013年」1月から再開したリハビリでしたがこの年の平成25年「2013年」12月この病院の整形外科の診察の際この病院の主治医からもう、リハビリを終了にて社会復帰をしなさいと言われリハビリを終了しました。理学療法士からは毎日30~40分歩くようにと言われそれを毎日実践している。リハビリテーションには平成25年「2013年」で終了。今は自主的にリハビリを行っています。

12)同じ境遇の方々へ

闘病生活は苦痛と言うよりほとんど高熱で意識がありませんでした。ただ、何回か切断しませんかと医者は言いに来ました。骨髄炎になった医者は切断することを考えます。でも、本当に何%の確率があきらめないで下さい。

セカンドオピニオンをして、移った病院の形成外科の方々には自分の命をいただいたので感謝しています。それにその病院の方々には色々と面倒をみていただき今でも感謝しています。しかし、自分こうして元気に暮らしていられるのは入院中、サポートしてくれた家族のおかげです。それは、いつも忘れてはいません。

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