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私は「悪性リンパ腫」と診断されたのは、25歳の頃でした。元々、風邪を引きやすかったり、アレルギー体質だったりといった事はありましたが、普通に学生生活を送り、職に就き、友人と遊び、若いなりの無茶をする事はたまにありましたが、特別不摂生な生活をしていたわけでも無く、他の20代の女性と差がない生活を送っていたと思います。

遺伝と言われる事もありますが、親類は癌で亡くなった方もいれば、心臓病、脳疾患の方もいて、そして老衰が一番多いです。

そんな私が、癌と告知されて、そして生活が一変するなんてまったく想像もしていませんでした。きっと、病気と闘っている方の大半は同じ気持ちかと思います。少しでも、私の経験が、同じ境遇の方やそのご家族に役に立てればと思います。

<プロフィール情報>

【ペンネーム】momoka

【年齢】30歳(女性)

【発症年齢】25歳

【治療期間】6ヶ月

【出身】福島県

【肩書き】会社員

1)「悪性リンパ腫」の告知を受けた日から一変した生活

【1】 当時の仕事・家族などの生活状況について教えてください

調理関係の仕事をしていました。病院での診断は2003年の7月でしたが、今、思うと、不自然な倦怠感や突然の首元のリンパの腫れなど「おかしい」と感じる状態はその前の年の冬あたりから本当はあったのです。

実家で家族と共に暮らしていましたが、その当時、丁度祖母の体調が悪く、いつどうなってもおかしく無い状況が続いていて、倦怠感を疲れと勘違いしていたのも気付くのが遅れた原因の一つかもしれません。

【2】当時の私の生活スタイル

毎日、普通に仕事をしたり遊んだりと生活していましたね。特別な事をしていたわけでもありませんし、前述のように家庭の事情で疲れてはいましたが、特に不摂生なわけではありませんでした。多趣味な方なので、休日は友人と趣味のコンサートや舞台に行ったりと、特に不自由なく生活していたと思います。

原因に関しては、多くの癌がそうであるように「これ」と言ったものは無いように感じます。そして、よく言われる様に自覚症状も薄いので、いつ発症したのかも定かではありません。

2)前兆症状はなし?私の症状について

【1】 結びつける事が難しい軽い前兆ばかり

まず初めに、2002年の10月頃かと思いますが、うつ伏せで寝る事が出来なくなった事を覚えています。これは、縦隔と呼ばれる気管、食道の近くの部分が最初に腫れた事が原因だったようですが、そんな場所も知りませんでしたし、結びつけるのは難しかったです。

あとは、全身に湿疹ができていましたね。特に目立ち始めたのは、2002年の1月頃、雪の降る中、皮膚科に暫く通っていたのを覚えています。

しかし、これも私は元々皮膚が弱く、しかも仕事で多量に汗をかいたり、水仕事も多かったので、いつもの湿疹だろうと気にもしていませんでした。あまりの痒さに皮膚科には行きましたか、薬を塗ってもあまり良くはなりませんでした。

手荒れが酷く、爪も大きく抉れたり線が入ったりとボロボロになっていきましたが、これも職業上、水仕事が多く手荒れも昔から酷かったので気にもしていませんでした。

今思うと、いろいろな初期症状が思いつきますが、多くの癌がそうであるように、本当にほとんどはっきりとした自覚症状が無いのです。医師の誤診も手伝って、自分が悪性リンパ腫であると自覚するまでかなりの時間がかかりました。

【2】はっきりとした症状は「首のリンパ腺の腫れ」

はっきりと自覚できる症状としては、2003年の4月、ある日突然、首のリンパ腺が腫れました。もちろんうつ伏せになる事はもう不可能になっていました。酷くなってくると、寝ている間、呼吸が止まることもありました。

実はこの時、病院に一度行って「呼吸が苦しい」「首が腫れている」など訴えたのですが、甲状腺の検査だけを行い、特に異常が無かったので「脂肪による圧迫ではないか」と診断されてしまったのです。私は、太っている方ではありますが、今も特に体型は変わっていませんが当時のように眠る時に呼吸ができないと言う事はないので、これは異常だったように感じます。

【3】それでもリンパ腫と結び付けることは難しかった

首の腫れが更に酷くなると、横になるだけで呼吸ができなくなりました。湿疹も全身に広がり、一度、母の前で服を脱いだ時にとても驚かれたのを覚えています。脛にも広がり、不思議に思いながら、どうせ治らないからと病院に行くのを止め、市販の薬を塗っていました。

倒れたり仕事を休まなければならないほどの体調不良などが無かった為、まさかと思っていたので「なんだか最近体調が悪いな、疲れかな? ストレスかな?」程度にしか感じていませんでした。

【4】ついに生活に僅かに支障が

2003年の5月頃になると、今まで一度もなったことない貧血に突然なり、時々立っているのが辛くなるほどでした。しかし、20歳代女性の貧血はそれだけ見れば珍しい事でも無いので「私も貧血になるんだな」など思いながら鉄剤を飲んだりして凌いでいましたが、しばらく休憩室で休ませてもらう頻度も多くなりました。

その内、気道が狭くなったからか、仕事で階段を僅かに上り下りするだけで話せなくなるほど息切れをするようになりました。

【5】半年以上の続いた誤診

更に酷くなると、2002年11月から現れていて、良くなったり治ったりを繰り返していた風邪症状が悪化し、治らなくなりました。

少し調子が良いからと趣味のコンサートに行くとそこで立っていられなくなり、ずっと座っている事になってしまったり、喘息のように呼吸が止まるほど気道の圧迫を感じたりすることが増えました。私は喘息の持病はありませんので、おかしいとこの頃から本気で感じていて、病院には通い続けていました。

何度も病院に通ううちに「なぜこんなに治らないのか、よほど無理な事をしているのではないか」と医師に不思議がられていました。

最初の症状の湿疹にはいろいろな市販の薬を塗って、痒みや荒れを抑えていました。私の場合、かなりわかりやすく首が腫れていたので、病院を変えていれば、もう少し変わったと今も思っています。

【6】インターネットで調べた内容に感じた怖さ

一つ一つは小さなことですが、いろいろな不調が続くので、この頃から自分の症状をインターネットで調べ始めました。そして、一番当てはまるので悪性リンパ腫だと知りました。

しかし、「まさかそんなはずはない」「この若さで癌になるなんてありえない」「自分がなるわけがない」などと思っていましたね。信じたくなったので、医学の知識の無い私がインターネットで調べた知識など、信憑性が無いからそんなはずがないと思う事で否定していました。

医療施設の廊下

3)3つ病院を転々・・気が遠くなるほどの検査の繰り返し

【1】 病院の変更に

これは絶対にリンパ腺が腫れているし、こんなに長い間腫れているのは絶対におかしいから別のところで看て貰うべき」だと職場の先輩に言われて、さすがにそろそろおかしいと思っていたので、先輩の掛り付けに行ってみる事にしました。

【2】 どんな検査方法が行われたか

最初の病院で行った事は問診と触診でした。そこで首元に触れた医師が、念の為一度大きな病院へ行くようにとすぐに紹介状を書いてくれました。

そして、紹介状を書いて頂いた病院で、触診、問診から血液検査、尿検査、穿刺細胞診など様々な検査をして最後に「一週間後に結果が出るからもう一度くるように」と言われました。その時は、風邪からくるリンパの腫れ、猫ひっかき病など様々な病気の可能性を説明され最後に「可能性は低いがこういうこともある」と悪性リンパ腫の話をされました。

しかし一週間後と言ったにも関わらず、自宅に「明後日手術と入院の手続きをしたのでくるように」と電話がかかって来たのは次の日でした。細胞を調べた結果、悪性リンパ腫である可能性が非常に高いと出たそうです。自宅への電話でしたので受けた母が驚き、連絡を受けた私も職場でへたりこんでしまったのを覚えています。

次の日、主治医から説明を受け、その次の日に入院をして、リンパ節を取り生検をしました。私の診断は「ホジキンリンパ腫」でした。その後、私は市内で唯一の「血液内科」のある病院へ更に移されることが決まり転院先の病院の主治医を紹介され、説明を受けました。

とても丁寧に、完治の可能性が高い事、20代の女性に発症することが多い種類な事を説明してもらい、安心したのを覚えています。

次に転移の有無を調べる為にまず「PET-CT」の検査を行いました。その後、血液検査、エコー、心電図、肺機能など様々な検査が行われ、最後に抗がん剤入院したその日に骨髄検査が行われました。検査の結果、私は「ステージ2」と診断されました。

抗がん剤治療中は、副作用による肺機能や心臓機能などに異常が無いか調べる為に、定期的に肺活量、心電図、エコーの検査を行っていました。肺活量の検査が非常に苦手で、何度もやり直したのを覚えています。

【3】抗がん剤治療」で首の腫れが劇的に回復

主に「抗がん剤治療」です。4種類の抗がん剤を月2回、合計6クール行いました。最初の1クール目は副作用もあるので入院での治療になると言われ一つ一つの抗がん剤の効果や副作用を担当の薬剤師さんが説明してくれました。

今はとても効果のある吐き気止めが出来ているから、ドラマのように酷い嘔吐をする人は少ないが、どうしても脱毛はしてしまう人が多い、と説明を受けて安心とショックを同時に感じたのを覚えています。でも、抜け始めたら邪魔になるとインターネットで見たのでロングだった髪をべリィショートまでばっさり切りました。

抗がん剤治療しかしていませんが、薬の効きはとても良かったと思います。あれだけ悩まされていた首のリンパの腫れが1クールで引きました

4)治療中は入退院と通院を繰り返し・・

 【1】 手術内容は生検のみ

手術はリンパ腫の種類を調べる生検のみ行いました。首のリンパ節がいくつも腫れていたので、それを1つ切り取りました。局所麻酔で行ったので、意識ははっきりしていました。術後、麻酔が切れてからとても痛むのかと覚悟していたのですが、横になって起きる時や身体を屈めたりすると痛みがありましたが、我慢できないほどの痛みではありませんでした。

糸も使わなかったので抜糸も無く、次の日には退院して、その次の日には休職の引き継ぎをしなければと仕事に行きましたが、さすがに職場の人に心配されました。でも実際、本当に少し痛むくらいで元気でした。

切った場所は、主治医の指導で、傷口が塞がるまで市販の消毒薬で消毒し、サージカルテープを貼っていました。

【2】骨髄検査や酷い副作用・・辛かった入院生活

最初の入院は、告知をされた耳鼻科で、手術の後、次に、血液内科に転院し、そこで抗がん剤治療を行う為に入院しました。1クール目は必ず入院で行うようで、1日目に骨髄検査を含む様々な検査をして、抗がん剤の説明をされ、2日目に投与されました。

骨髄の中は麻酔が効かない為、激痛で、検査の中でこれが一番辛かったです。何度も失敗されてしまい、大人になってから初めて大泣きをしてしまいました。

【3】続く辛い副作用に入院を希望するしかなかった

最初15分が吐き気止め、次から30分刻みで2~3種類の抗がん剤、最後に2時間の抗がん剤を投与されました。これで問題無ければ、次から通院での投与に切り替わる予定でしたが私の場合副作用が強く出たので二週間後の次の投与まで入院したまま行いました。

3クール目あたりになると副作用にも慣れてきたので一度通院治療に切り替わりましたが、3回ほど受けて、結局夜間救急に駆けこみ吐き気止めの点滴を受けるので最後まで入院治療をすることになり、投与から5日間は入院で行う事になりました。

【4】辛さを共有できる人がいたことが救いだった

私は実感することができませんでしたが、本当に吐き気止めが良いものが出ているらしく、ほとんどの患者さんは1クールで後は通院になるので、何度も入院を繰り返す患者さんは決まっていて、なので行く度に親しく会話をするようになり、看護師さんとも親しくなりました。

辛い治療だったので、同じ境遇の患者さんや、毎日話しかけてくれる看護師さんに励まされました。主治医や担当の薬剤師さんや栄養士さんもかなりの頻度でベッドに足を運んでくれて、和やかな環境で治療を受ける事ができたのは感謝しています。

【5】通院頻度・回数・通院内容とは?

治療中は、3クール目から抗がん剤投与の為に2週間に1回、抗がん剤投与の間の週にも1回と月4回の通院をしていました。入院とは別に部屋が用意されていて、テレビや雑誌、トイレや洗面所もあり、椅子やベッドが並んでいます。

癌の種類によりますが、私は若いからか一気にたくさんの薬を投与するので、半日以上投与に時間がかかるためベッドで行っていました。結局、副作用が酷くすぐに入院治療に切り替わりました。退院後は、最初は2カ月に一度、1年後からは3カ月に一度通院して血液検査を、半年に一度CT検査を受けています。

【6】平気そうな人も多かったのに…

治療中の生活で特に大変だったことは、とにかく「副作用」です。現在とても良い吐き気止めがあり、酷い副作用を起こす人はとても少ないと言われていたのですが、私の場合、酷く出てしまいました。

最初の1クール目は皆さん入院治療ですので、他の方の治療を見ることもあるのですが、ほとんどの方が食事も普通に摂られて、特に問題無く、「次回から通院治療に移る」と言って退院していかれたのですが、私は吐き気と味覚障害が大きく出てしまいました。

総合病院の施設

【7】お見舞いにきた家族や友人の顔が青くなるほど生気がなかったらし

特に酷かったのは1クール目で、倦怠感も酷く、投与した次の日からほとんど動けず、ほとんどの物を食べる事ができなくなりました。1週間はベッドの上で僅かな時間だけ目を開けて、また眠って、を繰り返していたと思います。

それでもなんとかトイレと歯磨きなどは自力でしていました。どうしても耐えられなくて、意地だけでお風呂に入ろうとして看護師さんに止められましたね。

【8】毎食山のような飲み薬と苦い水

大量の薬を出され、それをなんとか飲んでいましたが食事はまともにできませんし、何よりも水が苦くて気持ち悪い味がして飲めなくなってしまいました。

薬のみで生活しているようなものなので、胃の荒れが酷く、2・3カ月は酷い胃の痛みに悩まされてさらに胃薬を追加され、さらに突然できた口内炎が酷くなってしまい2カ月は苦しみました。ちなみにその口内炎の痕は、2年は消えなかったのでよほど酷かったのだと思います。

【9】味覚障害と酷い偏食

酸味を感じるもの、例えば100%のフルーツジュースとか、なぜかミルクティーを飲む事ができたので、ずっとジュースを飲んでいましたがさすがに辛くなりました。

食べ物は食べられるものと食べられないものの変化がめまぐるしく、最初食べられていたものが次は食べられないなど良くあり、母がコンビニから大量の食べ物を買ってきて片っ端から食べてみて判断していました。

最終的には、ヨーグルトとグラタンと桃とトマトという奇妙な組み合わせのみ食べられる事がわかり、ほとんどそれを口にしていました。隣のベッドの方はあんこしか食べられないらしくずっとあんパンや大判焼きを食べていたので本当に人それぞれなのだと思います。

私は妊娠をした経験がありませんのでわかりませんが、悪阻に似ているそうです。この味覚変化のせいで、特に歯磨きは大変でした。絶対に水を口に含むので、何度も吐きそうになりながらなんとかうがいをしていました。

【10】ついにはじまる脱毛

2か月目半ばで言われていた脱毛が始まりました。大量に髪が毎日抜け、ベッドや床に散らばるので髪をとかすのもドライヤーをかけるのも大変でした。

2か月で何とか一度退院できたので外に遊びに行く事もあったのですが、髪が抜けるので粘着ローラーを持ち歩き、サマーニットと帽子についているウィッグで凌ぎました。年頃でしたし、長いロングヘアが好きだったので、何とも言えないショックがありました。

【11】治療期間での失敗談

本能が働いたのか、食べないと死んでしまうような気がして、少しでも食べられる物を必死に見つけていたのですが、それがグラタンやクリームスパゲティと弱った胃を直撃するものが多く、今思うとさらに胃を悪くしていたような気がします。点滴もしていたので、副作用が収まってから食べれば良かったなと思っています。

私の場合、とにかく味覚に副作用が出てしまいましたので、普通に食べられるようになると嬉しくてつい食べ過ぎてしまいましたね。おかげで激やせしたりはしませんでしたが。

5)その後の予後!自宅での過ごし方と家族のサポート

【1】家族の支え

家族にはとても助けて貰いました。入院生活中には、着替えを持ってきてもらったり、副作用が強かった為、好物や食べられそうなものをほとんど毎日持ってきてくれました。

離れて生活していた弟も、仕事帰りなどまめに顔を出してくれて励ましてくれました。通院治療中は、実家で過ごしていましたがあまりに副作用が強かった為、定年して家にいる祖父母の家に行って飲み物や食べ物の世話をして貰っていました。

高齢の祖父母に頼るのは心苦しかったですが、頼ってくれて良いと言ってくれ、自力で動ける状態では無かったのでとても助かりました。特に副作用が酷かった1クール目の時は、家族曰く、死んだように眠り続けていたそうなので、長い時間家族の誰かは側にいてくれたと思います。

【2】職場の状況とは?

急な入院と休職にも関わらず、職場の方々はとても良くしてくれました。私の仕事は少し特殊な専門職で、1人しか担当がいないので、休職の間、代わりの方が見つかるまで、専門的な資格の無い方に出来る範囲の仕事を引き継いでいただきました。正直、とても大変だったと思います。2クール目が終わり、退院した後、改めて代わりの方に引き継ぎに行きました。

【3】治療・予防において生活習慣で大切だと思うこと

(1) 食生活

副作用の程度によりますが、確実に食生活が乱れます。仕方ないことなので、副作用が出ていない期間はなるべく規則正しくしないと内臓が参ってしまうと思います。私は食べられる元気な期間に、食べたい物を食べ過ぎて弱った胃を更に痛めてしまったので…。

(2) 睡眠

眠れない時もあると思いますので、無理せず主治医に相談して睡眠薬などを貰うと良いと思います。私は、精神的にとても不安定で、鬱状態になってしまい寝不足が酷くなってしまったので、たまに点滴に睡眠薬や安定剤が入っていたようです。説明は受けていたと思うのですが、記憶が朧気なあたり投与された時は相当な状態だったのだと思います。

(3) 入浴

 特に気を付けた事はありませんが、温泉には癌治療中の方は控えるように書いてある事もありますね。逆に、温度の高いお風呂に入ると良いなどの民間療法もあり、試してみましたが効果があったかはわかりません。医師には、術後以外は特に何も言われませんでしたし、いつも通りで構わないと言われました。

(4)運動

とにかく体力が落ちました。ほとんどベッドの上で過ごしていたので、最初の酷い副作用後は歩く事も困難で、なんとか手すりに捕まりながら売店へ買い物に行っていました。無理をするなと言われましたが、ベッドに1週間以上横になっていたので少しでも動きたかったのです。

副作用が切れた元気な時期に、少しでも気分が晴れるようにと、家族や友人が近間に遊びに連れて行ってくれましたが、数時間で立っていられなくなるので迷惑をかけたと思います。酷い倦怠感ですが、運動出来る時は運動しないと筋力がどんどん落ちます。

【2】 検査・通院・治療費のお金の実情とは?

一番始めの検査は、1万円ほど、最初の入院と手術は30万円ほどかかったと記憶しています。治療前後にPETCTを必ず受けるのですがこちらは3万円ほど。抗がん剤の治療は一回30万円ほど。なので治療が始まってから月総額は100万円ほどだったのだと思います。

高額医療なので、請求は外来入院それぞれ限度額までなのと、入院保険に入っていたのでそこまで、病休手当で払える範囲内で収まりましたのでそこまで負担に感じる事はありませんでしたが、まだ若いからとがん保険に入っていなかったのは痛手だったと思っています。寛解後の通院は、血液検査に4千円ほど、CT含めて1万3千円ほどかかっています。

健康保険証と医療費のイメージ

6)出来る事が限られていた闘病中!何でもできる今が嬉しい

【1】闘病から5年が経って

今年で発症から5年程度になります。現在は特に再発の心配も無く過ごしています。告知された時は、完全にもう死んでしまうと思いました。同時に死にたくないとも。

まだ25歳でしたので、やりたい事もたくさんあったのに、なぜこんなに早く死ななければならないのかと毎日考えていましたとにかく毎日辛くて、なぜ私なのか、私ばかりどうして、とずっと考えてしまっていました。ただ、家族や友人が本気で心配し、助けてくれた事で、生きなければならないんだなと強く思っていました。

【2】同じ症状で苦しむ方へ

原因の分からない、突然の発症と、一変する生活は言葉では言い表せません。何もかもが辛いと思います。無自覚のまま進行し、突然告知されることの多い病気です。

そして、世の中にはあまりにもいろいろな情報が溢れていて、生きる為に、もしくは大切な人に生きていて欲しい為に自分や家族は様々な方法を試そうとすると思います。でも、一度深呼吸して、いろいろな意見よりもまず、自分自身を信じましょう。

【3】セカンドオピニオンは大切です

医師が信用できないと判断したら別の病院に行ったって良いのですこれから長い間付き合わなければならない医師です。他にもたくさん病院はあります。

治療するのは自分自身なのですから、納得のいく病院を探すことも大事です。あと診断がおかしいと思ったら「でも向こうは専門だし」と思わずに別の病院に行く事をおすすめします。

【4】必ず治るという気力を捨てないで、自分を信じましょう

辛すぎる副作用に、もう嫌だと思ってしまう事もあるでしょう。でも、治療を終えることができたら、また、いろんな事ができるようになります。辛い時は、やりたい事をたくさん見つけて行ってください。

人はいつどうなるかわからないと言う事を私は知りました。明日突然動けなくなるかもしれないのです。なので、私は今、後悔の無いように、やりたい事はとにかくやるようにしています。治療中に行きたいと思った所や、やりたいと思ったことを治療後に実現していきました。

必ずできる日が来ると言う希望を捨てないで、病は気からとも言います、気力だけは捨てずに、未来の楽しい事を考えましょう。

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